2019年09月27日
GB EMI ALP1888 カール・フォルスター フィッシャー=ディースカウ バッハ・珈琲カンタータ、農民カンタータ
《通販レコードのご案内》質実剛健なサウンドによるバッハ・カンタータ演奏の面白さがダイレクトに迫る。バッハの創造した本当に深い創作の中をそぞろ歩いているような錯覚を起こさせる稀有な名演だ。
品番 | 34-15102 |
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商品名 | GB EMI ALP1888 カール・フォルスター バッハ・珈琲カンタータ |
レコード番号 | ALP1888 |
作曲家 | ヨハン・ゼバスティアン・バッハ |
演奏者 | リーザ・オットー ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ ヨーゼフ・トラクセル ベルリン聖ヘドウィッヒ教会合唱団 |
指揮者 | カール・フォルスター |
オーケストラ | ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 |
録音種別 | MONO |
ジャケット状態 | M- |
レコード状態 | M- |
製盤国 | GB(イギリス)盤 |
グレード(声楽) | ミディアム |
レーベル・ワンポイントガイド
《セミサークル》は基本的には、赤の地に上半分の半円の中に蓄音機とニッパーの絵が入り、半円の上部は「HIS MASTER’S VOICE」のロゴが印刷されたデザインになります。これを、「ラージ・ドッグ・イン・セミサークル(半円、ハーフムーン)」と呼びます。フランス盤は、LA VOIX DE SON MAITRE(VSM)となる。HMVの名演・名録音がカタログを埋め尽くしている。番号では、ASDの576あたりから2470までは、ステレオ録音のオリジナルであると考えられています。中でも、シューリヒトのブルックナー、ケンペ・バルビローリの一連の録音、そして、デュ・プレの名盤は、オーディオファイル・音楽ファンの憧れの的です。
Record Label EARLY LARGE DOG WITH GOLD LETTERING Recording & Weight MONO 1枚組 (160g) Release & Stamper - - 通販レコード
- オーダー番号34-15102
- 販売価格3,000円
(税別) - 詳細の確認、購入手続きは品番のリンクから行えます。
- 詳細掲載ページ
- https://recordsound.jp/analogsound/index.php?mode=detail&gid=15102
現在ではドイツの首都は、1991年にボンからその座を取り戻したベルリンです。かつてのベルリンは神聖ローマ帝国の東の端に位置しており、今ほど重要な役割を果たしてきませんでした。中世からシュプレー川の水運を利用した交易が行われていましたが、資料に初めて出てくるのは13世紀中頃で、その頃のベルリンは現在のニコライ教会のまわりにあったベルリンと、シュプレー川の向かい側のペテロ教会にまわりにあったケルンという、スラブ系の人々が建設した二つの村でした。1307年に共通の市庁舎を建設して一つの都市となり、その後1359年にはハンザ同盟にも加入して、ブランデンブルク地方の経済の中心地となっていきました。
ベルリンの支配者であったホーエンツォレルン家はもともとニュルンベルクの城伯(代官)でしたが、1415年にブランデンブルク選帝候に任ぜられたフリードリッヒ6世はニュルンベルク市に権限を売り渡し、ブランデンブルク市に引っ越してきます。次代の選帝候フリードリッヒ2世は本格的にベルリンの改造を始め、王宮も建設しました。1470年にベルリンに宮廷が移って、ホーエンツォレルン家の本拠地としての地位を確定します。
その後時代が下って、大選帝候フリードリッヒ・ヴィルヘルムの時代に近代的な宮廷楽団が組織されています。次の選帝候ヴィルヘルム3世は1701年にプロイセンを王国とし、国王フリードリッヒ1世と名乗りました。この王も音楽好きで、妃のゾフィー・シャルロッテとともに宮廷楽団の整備に尽力します。次のフリードリッヒ・ヴィルヘルム1世(軍人王)は文芸予算を削って軍事費にあてたため、残念ながら一旦宮廷楽団は解散されてしまいました。しかし、次のフリードリッヒ2世(大王)の時代にプロイセンの力はさらに発展し、街区も整理されて現在のベルリンの形がほぼ整います。音楽好きでもあった啓蒙専制君主フリードリッヒ2世の宮廷には、宮廷楽長ハインリッヒ・グラウンや作曲家で大王のフルート教師としてヨハン・ヨアヒム・クヴァンツなど錚々たるメンバーが集められ、ベルリンの宮廷に再び音楽が鳴りひびきました。大バッハの次男カール・フィリープ・エマーヌエルも1740年~1768年にチェンバロ奏者としてここに勤務して「ベルリンのバッハ」と呼ばれ、1747年には大バッハも近郊のポツダムとベルリンを訪れフリードリッヒ大王に拝謁しています。
大王の没後はプロイセンは一時弱体化し、ナポレオンに占領されてしまいますが、ナポレオン失脚後にわき起こったドイツ・ナショナリズムの動きにも後押しされてメンデルスゾーンが1829年にベルリン・ジングアカデミーを指揮し、大バッハのマタイ受難曲を蘇演してバッハ復活運動の口火を切ったのはよく知られています。
この、ベルリンの王宮は第2次大戦で大きな被害を受け、戦後東独政府によって破壊され、その跡地には共和国宮殿と呼ばれるビルが建てられ、旧東独時代の立法府であった国家評議会のビルの正面玄関に爆破されたベルリン王宮のバルコニーがはめ込まれて遺されています。
シュプレー川にかかるシュロス橋から、カール・リープクネヒト通りはウンター・デン・リンデンと名を変え、西に向かってブランデンブルク門まで約1.4㌖にわたって続いています。ここは戦前のベルリンのメインストリートで、その名の通り菩提樹が連なる通りの両側には、フリードリッヒ大王の時代から建設が始められた壮麗な建物が軒を連ねています。通りの北側には1810年に創設されたベルリン大学(現フンボルト大学)、その向かいにはサンスーシ宮の建築家クノーベルスドルフの手になるシュターツオーパー(国立歌劇場)。フンボルト大学の隣にはバッハやメンデルスゾーンやシューマンの自筆譜を多数所蔵する付属図書館(旧王立図書館)も併設されています。
シュターツオーパーの後ろにはローマのパンテオンを模して建てられた聖ヘトヴィヒ聖堂があり、その横を抜けるとすぐにベルリンで最も端正な広場といわれるジャンダルメン広場になります。ベルリン聖ヘトヴィヒ大聖堂聖歌隊の指揮者として、その卓越した手腕を発揮した合唱指揮者カール・フォルスターが独墺圏の合唱団の良さを聴かせる。
コーヒー・カンタータ「お静かにしゃべらないで」 / 農民カンタータ「おいらの今度の領主さま」
声楽の充実という点において今もこの録音をしのぐ「農民カンタータ」はない。ドイツ的な風合いの再現という意味では、質実剛健なサウンドによるバッハ・カンタータ演奏の面白さがダイレクトに迫ってくる。ドイツの伝統のなかで育まれてきたロマンティックな演奏の極みと言ってよい。バッハの創造した本当に深い創作の中をそぞろ歩いているような錯覚を起こさせる稀有な名演であって、バッハをより自然に近づけ心暖まるものにしてくれる。オペラ的ではあるが素朴な表情を失ってはおらず、ほのぼのとした愉しさを味わわせてくれる名盤。
ベルリンの支配者であったホーエンツォレルン家はもともとニュルンベルクの城伯(代官)でしたが、1415年にブランデンブルク選帝候に任ぜられたフリードリッヒ6世はニュルンベルク市に権限を売り渡し、ブランデンブルク市に引っ越してきます。次代の選帝候フリードリッヒ2世は本格的にベルリンの改造を始め、王宮も建設しました。1470年にベルリンに宮廷が移って、ホーエンツォレルン家の本拠地としての地位を確定します。
その後時代が下って、大選帝候フリードリッヒ・ヴィルヘルムの時代に近代的な宮廷楽団が組織されています。次の選帝候ヴィルヘルム3世は1701年にプロイセンを王国とし、国王フリードリッヒ1世と名乗りました。この王も音楽好きで、妃のゾフィー・シャルロッテとともに宮廷楽団の整備に尽力します。次のフリードリッヒ・ヴィルヘルム1世(軍人王)は文芸予算を削って軍事費にあてたため、残念ながら一旦宮廷楽団は解散されてしまいました。しかし、次のフリードリッヒ2世(大王)の時代にプロイセンの力はさらに発展し、街区も整理されて現在のベルリンの形がほぼ整います。音楽好きでもあった啓蒙専制君主フリードリッヒ2世の宮廷には、宮廷楽長ハインリッヒ・グラウンや作曲家で大王のフルート教師としてヨハン・ヨアヒム・クヴァンツなど錚々たるメンバーが集められ、ベルリンの宮廷に再び音楽が鳴りひびきました。大バッハの次男カール・フィリープ・エマーヌエルも1740年~1768年にチェンバロ奏者としてここに勤務して「ベルリンのバッハ」と呼ばれ、1747年には大バッハも近郊のポツダムとベルリンを訪れフリードリッヒ大王に拝謁しています。
大王の没後はプロイセンは一時弱体化し、ナポレオンに占領されてしまいますが、ナポレオン失脚後にわき起こったドイツ・ナショナリズムの動きにも後押しされてメンデルスゾーンが1829年にベルリン・ジングアカデミーを指揮し、大バッハのマタイ受難曲を蘇演してバッハ復活運動の口火を切ったのはよく知られています。
この、ベルリンの王宮は第2次大戦で大きな被害を受け、戦後東独政府によって破壊され、その跡地には共和国宮殿と呼ばれるビルが建てられ、旧東独時代の立法府であった国家評議会のビルの正面玄関に爆破されたベルリン王宮のバルコニーがはめ込まれて遺されています。
シュプレー川にかかるシュロス橋から、カール・リープクネヒト通りはウンター・デン・リンデンと名を変え、西に向かってブランデンブルク門まで約1.4㌖にわたって続いています。ここは戦前のベルリンのメインストリートで、その名の通り菩提樹が連なる通りの両側には、フリードリッヒ大王の時代から建設が始められた壮麗な建物が軒を連ねています。通りの北側には1810年に創設されたベルリン大学(現フンボルト大学)、その向かいにはサンスーシ宮の建築家クノーベルスドルフの手になるシュターツオーパー(国立歌劇場)。フンボルト大学の隣にはバッハやメンデルスゾーンやシューマンの自筆譜を多数所蔵する付属図書館(旧王立図書館)も併設されています。
シュターツオーパーの後ろにはローマのパンテオンを模して建てられた聖ヘトヴィヒ聖堂があり、その横を抜けるとすぐにベルリンで最も端正な広場といわれるジャンダルメン広場になります。ベルリン聖ヘトヴィヒ大聖堂聖歌隊の指揮者として、その卓越した手腕を発揮した合唱指揮者カール・フォルスターが独墺圏の合唱団の良さを聴かせる。
コーヒー・カンタータ「お静かにしゃべらないで」 / 農民カンタータ「おいらの今度の領主さま」
声楽の充実という点において今もこの録音をしのぐ「農民カンタータ」はない。ドイツ的な風合いの再現という意味では、質実剛健なサウンドによるバッハ・カンタータ演奏の面白さがダイレクトに迫ってくる。ドイツの伝統のなかで育まれてきたロマンティックな演奏の極みと言ってよい。バッハの創造した本当に深い創作の中をそぞろ歩いているような錯覚を起こさせる稀有な名演であって、バッハをより自然に近づけ心暖まるものにしてくれる。オペラ的ではあるが素朴な表情を失ってはおらず、ほのぼのとした愉しさを味わわせてくれる名盤。
詳細の確認、購入手続きは品番のリンクから行えます。プライバシーに配慮し、会員登録なしで商品をご購入いただけます。梱包には無地のダンボールを使用し、伝票に記載される内容はお客様でご指定可能です。郵便局留めや運送会社営業所留めの発送にも対応しております。
入手のメインルートは、英国とフランスのコレクターからですが、その膨大な在庫から厳選した1枚1枚を大切に扱い、専任のスタッフがオペラなどセット物含む登録商品全てを、英国 KEITH MONKS 社製マシンで洗浄し、当時の放送局グレードの機材で入念且つ客観的にグレーディングを行っております。明確な情報の中から「お客様には安心してお買い物して頂ける中古レコードショップ」をモットーに運営しております。
FR VSM CVC2053フォルスター ベルリン聖ヘドウィッヒ教会合唱団 バッハ・ヨハネ受難曲(ハイライト)
NL PHILIPS 6514 320 ペーター・シュライアー シュターツカペレ・ドレスデン モーツァルト・レクイエム
FR PHILIPS 6500 329 ヴォルフガング・サヴァリッシュ シューベルト・ミサ曲6番
GB EMI ASD2493 シュヴァルツコップ&セル リヒャルト・シュトラウス&モーツァルト歌曲集
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FR PATHE DTX101-2 アンドレ・クリュイタンス ベルリオーズ・キリストの幼時
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Posted by analogsound at 13:00│Comments(0)
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