DE ELECTROLA STE80715 フォルスター ベルリン聖ヘドウィッヒ教会合唱団 ブルックナー 大ミサ3番

analogsound

2020年01月17日 13:00

《通販レコードのご案内》ベルリン聖ヘトヴィヒ大聖堂聖歌隊の指揮者として、その卓越した手腕を発揮した合唱指揮者カール・フォルスターの指揮も自然体のブルックナーに好ましい。この「大ミサ3番」はブルックナーの数ある名曲中ピカイチの愛聴曲です。



品番34-22201商品名
DE ELECT STE80715 フォルスター・ベルリン響 ブルックナー 大ミサ3番(W&G)レコード番号
STE80715作曲家アントン・ブルックナー演奏者ピラール・ローレンガー クリスタ・ルートヴィヒ ヨゼフ・トラクセル ワルター・ベリー ベルリン聖ヘドウィッヒ教会合唱団
指揮者カール・フォルスターオーケストラベルリン交響楽団録音種別
STEREOジャケット状態EX-レコード状態M-製盤国DE(ドイツ)盤グレード(宗教音楽)ミディアム

販売レコードのカバー、レーベル写真


レーベル・ワンポイントガイド

ELECTROLAレーベル》は1925年に、ベルリンで英グラモフォンにより設立される。HMVのドイツ支社であった「ドイツ・グラモフォン」は、第一次世界大戦の勃発とともに、競売に付されてドイツの会社となってしまい、今ある黄色いレーベルの「ドイツ・グラモフォン」となるのです。そこで、ドイツでの拠点を失ってしまったHMVは、大戦後は「エレクトローラ」というレーベルを作ります。こうして1931年、親会社の英グラモフォンと英コロムビアが合併し、英EMIとなったため、英コロムビアの子会社「カール・リンドストレーム社」と合併し、「リンドストレーム・エレクトローラ」となった。しかし、やがて勃った第二次世界大戦後には、ドイツ降伏の条件の一つとして、ドイツ・グラモフォンが持っていた商標「His Master's Voice(HMV)」を英EMIが没収し、黄色いレーベルの「ドイツ・グラモフォン」とは別に、英EMI録音盤の発売に、ドイツにおいてはエレクトローラが使用することとなった。時は流れ、2002年、ヴァージン・レコードのドイツ法人と合併し、EMI Music Germanyとなった。

  • Record Label-Recording & WeightSTEREO 1枚組Release & Stamper-
    • 通販レコード
    • オーダー番号34-22201
    • 販売価格4,000円
      (税別)
    • 詳細の確認、購入手続きは品番のリンクから行えます。

詳細掲載ページ
https://recordsound.jp/analogsound/index.php?mode=detail&gid=22201
現在ではドイツの首都は、1991年にボンからその座を取り戻したベルリンです。かつてのベルリンは神聖ローマ帝国の東の端に位置しており、今ほど重要な役割を果たしてきませんでした。中世からシュプレー川の水運を利用した交易が行われていましたが、資料に初めて出てくるのは13世紀中頃で、その頃のベルリンは現在のニコライ教会のまわりにあったベルリンと、シュプレー川の向かい側のペテロ教会にまわりにあったケルンという、スラブ系の人々が建設した二つの村でした。1307年に共通の市庁舎を建設して一つの都市となり、その後1359年にはハンザ同盟にも加入して、ブランデンブルク地方の経済の中心地となっていきました。
ベルリンの支配者であったホーエンツォレルン家はもともとニュルンベルクの城伯(代官)でしたが、1415年にブランデンブルク選帝候に任ぜられたフリードリッヒ6世はニュルンベルク市に権限を売り渡し、ブランデンブルク市に引っ越してきます。次代の選帝候フリードリッヒ2世は本格的にベルリンの改造を始め、王宮も建設しました。1470年にベルリンに宮廷が移って、ホーエンツォレルン家の本拠地としての地位を確定します。
その後時代が下って、大選帝候フリードリッヒ・ヴィルヘルムの時代に近代的な宮廷楽団が組織されています。次の選帝候ヴィルヘルム3世は1701年にプロイセンを王国とし、国王フリードリッヒ1世と名乗りました。この王も音楽好きで、妃のゾフィー・シャルロッテとともに宮廷楽団の整備に尽力します。次のフリードリッヒ・ヴィルヘルム1世(軍人王)は文芸予算を削って軍事費にあてたため、残念ながら一旦宮廷楽団は解散されてしまいました。しかし、次のフリードリッヒ2世(大王)の時代にプロイセンの力はさらに発展し、街区も整理されて現在のベルリンの形がほぼ整います。音楽好きでもあった啓蒙専制君主フリードリッヒ2世の宮廷には、宮廷楽長ハインリッヒ・グラウンや作曲家で大王のフルート教師としてヨハン・ヨアヒム・クヴァンツなど錚々たるメンバーが集められ、ベルリンの宮廷に再び音楽が鳴りひびきました。大バッハの次男カール・フィリープ・エマーヌエルも1740年~1768年にチェンバロ奏者としてここに勤務して「ベルリンのバッハ」と呼ばれ、1747年には大バッハも近郊のポツダムとベルリンを訪れフリードリッヒ大王に拝謁しています。
大王の没後はプロイセンは一時弱体化し、ナポレオンに占領されてしまいますが、ナポレオン失脚後にわき起こったドイツ・ナショナリズムの動きにも後押しされてメンデルスゾーンが1829年にベルリン・ジングアカデミーを指揮し、大バッハのマタイ受難曲を蘇演してバッハ復活運動の口火を切ったのはよく知られています。
この、ベルリンの王宮は第2次大戦で大きな被害を受け、戦後東独政府によって破壊され、その跡地には共和国宮殿と呼ばれるビルが建てられ、旧東独時代の立法府であった国家評議会のビルの正面玄関に爆破されたベルリン王宮のバルコニーがはめ込まれて遺されています。
シュプレー川にかかるシュロス橋から、カール・リープクネヒト通りはウンター・デン・リンデンと名を変え、西に向かってブランデンブルク門まで約1.4㌖にわたって続いています。ここは戦前のベルリンのメインストリートで、その名の通り菩提樹が連なる通りの両側には、フリードリッヒ大王の時代から建設が始められた壮麗な建物が軒を連ねています。通りの北側には1810年に創設されたベルリン大学(現フンボルト大学)、その向かいにはサンスーシ宮の建築家クノーベルスドルフの手になるシュターツオーパー(国立歌劇場)。フンボルト大学の隣にはバッハやメンデルスゾーンやシューマンの自筆譜を多数所蔵する付属図書館(旧王立図書館)も併設されています。
シュターツオーパーの後ろにはローマのパンテオンを模して建てられた聖ヘトヴィヒ聖堂があり、その横を抜けるとすぐにベルリンで最も端正な広場といわれるジャンダルメン広場になります。ベルリン聖ヘトヴィヒ大聖堂聖歌隊の指揮者として、その卓越した手腕を発揮した合唱指揮者カール・フォルスターが独墺圏の合唱団の良さを聴かせる。
ブルックナー「ミサ曲第3番」
ベルリン聖ヘトヴィヒ大聖堂聖歌隊の指揮者として、その卓越した手腕を発揮した合唱指揮者カール・フォルスターがベルリン・フィルを振ったブルックナー。フォルスターの指揮は自然体のブルックナーに好ましい。1950年後半にベルリンで録音されているこの盤は、ドイツ的な風合いの再現という意味では、質実剛健なサウンドによるブルックナー演奏の面白さがダイレクトに迫ってきます。ブルックナーの創造した本当に深い森の中をそぞろ歩いているような錯覚を起こさせる稀有な名演だと思います。とりたてて大名演というほどの演奏ではないが、重厚な合唱とピラール・ローレンガー、クリスタ・ルートヴィヒ、ヨゼフ・トラクセル、ワルター・ベリーら実力派の独唱で聴かせる演奏。ブルックナーをより自然に近づけ心暖まるものにする感じ。この「大ミサ3番」はブルックナーの数ある名曲中ピカイチの愛聴曲です。

レコードサウンド/カテゴリ指定

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